新型コロナがあぶり出した「狂った学者と言論人」【中野剛志×佐藤健志×適菜収:第1回】
「専門家会議」の功績を貶めた学者・言論人
■現実を直視できない人たち
適菜:でも、世の中には誤解してる人が多いんです。中野剛志と佐藤健志と適菜収が藤井聡とつまらないことで喧嘩しているとかね。そういう問題ではないということはやっぱりはっきりさせておかないとまずい。 まあ見る人が見れば分かってるとは思いますが。
佐藤:人間、何かを理解したくても理解できないということはありえます。ただし何かを理解したくないのに、理解できるということはありえない。知性は感情に束縛される、それだけの話です。
適菜:藤井氏は新型コロナの脅威を軽視する議論を続けてきましたが、自分に反対する意見を持つ人を感情的に罵倒し、「コロナ脳」などとレッテルを貼ってきた。
中野:別に放っておけばいいんじゃないですか?それこそ感情的に罵倒されたり、公開質問状を出されたりしたら面倒だ。しかも、彼にそんなに大きな影響力があるわけじゃあないんだし。今回の新型コロナを巡っては、いろいろ奇妙な議論が出てきたのは事実ですが、あそこまで変な言論を展開したのは、彼だけですよ。
適菜:ただ社会に対しては警鐘を鳴らさないといけない。議論がおかしな方向に行くと危ないですよと。
佐藤:現在起きていることは、何ら珍しい現象ではありません。危機的事態においては、不安に耐えきれず現実から目を背けたがる人々が必ず出るんです。で、そういう人たちを安心させる言説が出回る。需要のあるところ、供給は必ず生まれますからね。
警鐘などと構えると、かえって話が分かりにくくなる。新型コロナに関する話を聞いて、溜飲が下がったり、ホッとする思いを感じたりしたら、信用してはいけないというだけのことです。とうてい溜飲が下がる状況ではないのに、溜飲が下がるからには、どこかに嘘があるのに違いない。
中野:確かに。
佐藤:騙されるのは知識不足のせいでもあるが、信念が足りない、すなわち意思が弱いせいでもある。映画監督の伊丹万作さんは、敗戦の際にそう喝破しました。うまい話には裏があると考える、この当たり前の分別を持っているかどうかなんですよ。
「新型コロナが大したことなかったらいいなあ」とか「流行がすぐ終わってくれるといいなあ」と思うのは、まったく自然な心情。ただし本当にそうなんだという主張が出てきたときに、真に受けねばならない義理はない。
適菜:甘い言葉には騙されちゃいけないってことですね。
佐藤:われわれが藤井さんと喧嘩しているというのも、何も分かっていない意見の見本です。基本的な現実認識がここまで違っていたら、コミュニケーションが成り立ちません。ゆえに対立も生じない。
適菜:この鼎談では、そこをはっきりさせたいですね。意見の相違のレベルではなくて、要するに解釈の余地のある話ではなくて、具体的な危険性を指摘していく必要がある。
佐藤:ならば具体的に行きましょう。危険があるとすれば、それは一般の人々というか、日本社会の側にある。溜飲が下がらない状態に耐えるだけの分別が多くの人に残っていたら、何も心配する必要はないし、でなかったら心配しても始まらない。
中野:では、藤井氏がどうこうというよりは、現実から目を逸らそうとする言説の悪質さについて、具体的に論じることにしましょうか。これは私信でのやりとりを含むので、敢えて名前は伏せて「某氏」としておきますが(ちなみに、この人は感染症や公衆衛生の専門家ではないです)、この某氏は、1~2月くらいに新型コロナが騒ぎになったときに、「これはインフルエンザみたいなものだから心配いらない」と言っていた。「欧米は経済活動を規制していない。日本人が騒ぎ過ぎだ」と。たしかに、その時点では欧米はロックダウンをしていなかった。もっとも、その直後、欧州諸国は一斉にロックダウンに向かいましたが。その当時、某氏がコロナ対策として主張したのは、いわゆる「集団免疫戦略」でした。つまり、コロナなんか大した病気じゃないから、普通に活動して、むしろ積極的に感染して免疫を獲得しようという戦略です。そうすれば、経済を止めないで済むというのです。イギリスは最初にこの手法をとっていたが、感染者数が急増し、また科学者から批判をされたので、方針を改めてロックダウンした。集団免疫戦略の誤りに気付いたのですね。ところが、このイギリスの方針転換は、某氏によれば「ポピュリズムだ」なのだそうです。つまり彼の頭の中では、科学を知っている人間は集団免疫路線を選ぶのに、コロナに過剰反応してパニックになった大衆がロックダウンを求めた。イギリス政府は、冷静な科学的判断よりも、大衆の要求に応じた。だからポピュリズムだということになっている。
適菜 なるほど。
中野:その某氏はデータを見ても、重症化するのは年寄りだけだから、年寄り以外は普通の生活をすればいい、むしろ積極的に活動して感染しろと言っていました。
佐藤:ウイルス学者の宮沢孝幸さんも、同じような内容の主張をしていましたね。
中野:その某氏は、「世間の素人はなにも知らない。俺たちは科学者だから知ってるんだ」と言って悦に入ってたわけですよ。「集団免疫を恐れる者は素人だ。新型コロナに警鐘を鳴らすのは、大衆の無知に付け込んで煽動するポピュリズムだ」と。
適菜:その某氏はこうしてレッテルを貼るわけですね。
中野:その某氏の説によると、感染症対策というものには、経済活動の自由をある程度許容して集団免疫を獲得する戦略と、ロックダウンによってウイルスを撲滅する戦略の二つがあるのだそうです。そして、本来は前者の戦略のはずだった。ところが、そこへ尾身先生や西浦先生たちが入ってきて後者の戦略にしてしまったと言うのです。しかも、尾身先生らは「ロックダウンで新型コロナを撲滅できると信じている」とか「感染リスクをゼロにしようとしている」とか言って批判した。
適菜:違いますよね。感染リスクをゼロにするのは不可能。
中野:そう。専門家会議の尾身先生たちは、実際には感染者をゼロにしようとしていたのではなくて、医療崩壊を防ぎ感染をコントロールできる範囲内に感染者数を落とそうとしていた。新型コロナを撲滅しようとしていたわけではないのですよ。それは、尾身先生や押谷先生の発言をテレビで聞いていれば、素人の私でもよく分かりました。だから、私は某氏にそのことを指摘したのです。ところが彼は、尾身氏や西浦氏らは新型コロナを完全に撲滅させようとしていると言い張り、その前提で執拗に批判を始めた。要するに藁人形論法をやったわけですよ。
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[caption id="attachment_1058508" align="alignnone" width="525"] ◆成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか
◆ 新型コロナが炙り出した「狂った学者と言論人」とは
高を括らず未知の事態に対して冷静な観察眼をもって対応する知性の在り処を問う。「本質を見抜く目」「真に学ぶ」とは何かを気鋭の評論家と作家が深く語り合った書。
はじめに デマゴーグに対する免疫力 中野剛志
第一章 人間は未知の事態にいかに対峙すべきか
第二章 成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか
第三章 新型コロナで正体がバレた似非知識人
第四章 思想と哲学の背後に流れる水脈
第五章 コロナ禍は「歴史を学ぶ」チャンスである
第六章 人間の陥りやすい罠
第七章 「保守」はいつから堕落したのか
第八章 人間はなぜ自発的に縛られようとするのか
第九章 人間の本質は「ものまね」である
おわりに なにかを予知するということ 適菜収[/caption]
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